「犠牲」について考えてみた(その1)
「犠牲」という言葉を聞くと、何だか嫌がる人がいます。
自分を犠牲にするなんて、真っ平御免だと。
なるほど、なるほど(笑)。
どうやら、分かっておられないようで。
今の自分は誰かや何かの犠牲があって、成り立っていることを。
そう、人の成長の陰には、大抵、誰か(何か)の犠牲があるのです。
例えば、塾の場合でも、
自分が未熟な時代に、
拙い授業を受けてくれた生徒がいて、
下手くそな面談に付き合ってくれた保護者がいて、
失敗の責任を取ってくれた上司がいて、
目をつむってくれた社長がいて、
だから、今の自分がいるわけです。
つまり、いろいろな人の犠牲の上に、自分の成長があったのです。
それが分からない人は、人としては未熟者だよね。
会社も同じ。
創業間もない会社の場合、
何もないところから頑張ってくれた社員さんがいて、
自分のプライベートそっちのけで頑張ってくれた社員さんがいて、
安月給でも長時間働いてくれた社員さんがいて、
また、損得抜きに協力してくれた業者の人もいて、
そういう社員さんや業者の人がいたからこそ、
今の会社があるのです。
もちろん、楽しい会社が一番。
休みも多くて、給料も多い会社がいい。
やりがいもあって、ずっと働ける会社がいい。
誰だって、そう思います。
でも、結局、そんな会社を作るためには、誰かが無理をして頑張らなければならない時があるわけで、
やはり、人も会社も成長する上では、「犠牲」は付きものなのです。
もちろん、そういう役割を買って出る人は、「犠牲」だとは思っていないんでしょうけどね。
ただ、その人達には絶対に報いてあげなきゃいけない。
だって、敢えて「犠牲」という言葉を使いますが、、、
自分を犠牲にしてまで頑張ってきた人が報われない世界って、嫌じゃないですか?
私は嫌ですよ。絶対に嫌(笑)。
自分を大切にするのはもちろん大事なことだけど、いや、めちゃくちゃ大事なことだけど、、、
何かや誰かのために頑張る人を絶対に大切にしなきゃいけないと思う今日この頃です。
あっ、まだ「犠牲」について書き足らないので、明日も続きを書きますね。
オーラのないマッチメーカーこと、株式会社WiShipの岡田でした