一生、先生
すみません、今日は完全に個人的な内容。
実は、私の父親は88歳になりまして、よく分かってないのですが、、、この度、「高齢者叙勲」の勲章をいただけるということで。
まあ、おめでとうございます!
私の父親は、元々、高校の国語の先生。
ちなみに、私が高校生の時、その高校の教頭先生は私の父親だったんですよ。(公立高校なのに、そんなの、あり?🤔)
まあ、田舎だから仕方がないか…。
ただ、全校集会の時は、教頭である私の父親が話をしたりする機会もよくあり、周りの友達がジロジロ私の方を見るので、マジで嫌でしたね。
学校の先生たちも、父親の同僚なので、子どもの頃から知っている人もいて、これまた凄く嫌でした。
あのおじさんが社会の先生、あのおじさんが英語の先生、みたいなね(笑)。
父親の顔を潰すわけにもいかないから、どの教科も下手なテストの点数取れへんやん!(笑)(これも、先生の子どもに生まれた宿命なのか?🤔)
そんな感じの楽しくない高校生活を送ったわけですが、、、
私が卒業して数年後、父親は高校の先生だったのに、何故か地域で一番荒れている中学校に飛ばされ(笑)、校長先生に。
そして、最終的には小学校の校長先生になって、教員生活の幕を閉じました。
と思いきや、、、
今度は、地域が主催している高齢者大学的なところで、古典の講座の授業を担当することに(笑)。
それから、30年くらい経った今でも、古典講座の先生をやってます。
これこそ、まさに「一生、先生」の人生。
また、高校の先生→中学校の先生→小学校の先生→高齢者の先生…ということで、コンプリート(笑)。
根っからの「先生」だなぁって思います。
でも、そんな私の父親は、詳しい事情はよく分からないけど、小6を2年やっているらしく(えっ?昔は小学生で留年ってあるの?🤔)、
嬉しそうに「人の2倍同級生がいる」って自慢していて、ちょっと私には理解できない人でもあります(笑)。
ただ、その血が私には流れているので、もし、少し人と違う部分があるとしたら、それは父親のせいなのです(#^.^#)。
あと、どうしても「先生という仕事」「教育の仕事」にこだわっているのも、この血のせいだと思います。
とにかく、良い塾を作りたい、良い先生を作りたい…ずっと、血が沸き立っています(笑)。
だから、まだまだ頑張ります( ̄^ ̄)ゞ。
オーラのないマッチメーカーこと、株式会社WiShipの岡田でした。