正論では人は動かないんだってば
「正論」って、確かにその通りなんですが、だからと言って、人が動くわけじゃないんですよね。
「あなたの正論、仰る通りです。ごもっともです。でも、やりません。」
というやつです(笑)。
例えば、宿題忘れが多い生徒とのやりとり。
(先生)「宿題やらんかったら、成績上がるわけないやん。それに、宿題は先生との約束ごと。約束は守らなあかん。先生は君に約束を守る人間になってほしい。」
(生徒)「先生の仰る通りです。でも、やりません。」
実際にその言葉を発していなくても、そんな目をしている生徒っていませんか?
恐らく、いますよね(笑)。
あっ、講師や社員達にもいると思いますよ。
そして、もしかして、その生徒(もしくは講師や社員)の心の中はこんな感じかもしれません。
「いろいろ忘れているあなた(先生)に言われたくない。」
「自分のことばかり考えているあなた(先生)に人間論を語られたくない。」
「いつも見て見ぬふりをしているあなた(先生)が何で偉そうに言ってるわけ?」
いや〜、痛いところを突かれましたね(笑)。
まあ、要するに、人間って感情の生き物なんですよ。
人の感情においては、正しいか正しくないかは二の次。
頭では理解できたとしても、心が言うことを聞かないなんてことはよくあるのです。
だから、単に「正論」を言ってみたところで、人は動かないのです。
やっぱり、人の心を動かそうと思えば、、、
その「正論」を、
誰が言うか。
どのタイミングで言うか。
どういう伝え方をするのか。
この3つが重要なのです。
いや、もっと言えば、「正論」かどうかはどうでもいいのです。
大事なのは、、、(もう一度書きますね)
誰が言うか。
どのタイミングで言うか。
どういう伝え方をするか。
仮に同じ言葉だったとしても、誰がそれを言うかで相手の受け取り方が違います。
例えば、約束を守る重要性について、時間にルーズな上司から言われるのと、いつも時間を守る上司から言われるのとでは、受け取り側の感情は全然違うわけですね。
また、どういうタイミングでそれを言うかで相手の感じ方が違います。
例えば、部下の生徒に対する言動がイマイチだったとして、その場で指摘してあげるのと、後で指摘するのでは効果が違ったりします。
「今の話し方はこうした方がいいよ」とタイムリーに伝えた方が「なるほど。そう話した方がいいんだな。」という気づきが生まれます。
しかし、「昨日の生徒に対する話し方だけどさー…」となると、「ん?どの話?そんな話し方したっけなぁ…」なんてなるかもしれません。
さらに、どういう伝え方をするかでも、相手の聞く姿勢が変わってきます。
例えば、「社長!それは違います!こうすべきだと思います!」という言い方をして、社長が素直に「そうだな」なんてなると思います?
少なくとも、私はなりません(笑)。
だから、、、
誰が言うか。
どのタイミングで言うか。
どういう伝え方をするか。
それが大事なのです。
同じことを何度も書いて、ちょっとくどいですね。
まあ、とにかく、「正論」自体は、大して役に立たないわけです(笑)。
そんなもので、人は動かないのです。
ちなみに、そもそも論で言うと、私自身はあまり「正論」を語るのも振りかざすのも好きじゃないんですよね。
「こうするべき」などの「べき論」も嫌いです(笑)。
そういう言い方をされると、いったい、その「正論」や「べき論」って、誰が決めたの?って思ってしまいます(笑)。
ほんと、捻くれていて、すみません。