依存心とは厄介なものでして
人の成長において、
“依存心”とは何とも厄介なものでして。
これが増幅されると、依存する人にとっても、依存される人にとっても、ろくなことがありません(笑)。
ちなみに、“依存心”を辞書で調べると、「人に頼る気持ち」と書いてあります。
もちろん、何も「頼ること」が全てダメだと言っているわけではありません。
あくまでも、頼り過ぎて、頼り過ぎて、人に依存し過ぎる状態がイマイチだと言っているだけですからね。
今日はそんな話を。
まあ、人間にとって一番心に負荷がかかるのは、自分のこととして捉えるとか、自分が責任を持ってやることだったりします。
他の人のせいにしたり、他の人にやってもらった方が楽ですからね。
だから、仕事においても、指示を受けて、その指示通りにやる方が心の負担が少ないのです。
ただ、このスタンスでい続けると…、
どんどん自分で考えられなくなります。
どんどん自分で決められなくなります。
どんどん自分でできなくなります。
そう、どんどんどんどん誰かに依存していくのです。
また、依存される側の人から見ても…、
どんどんどんどん負担が増えるのです。
しかも、それは物理的な負担だけでなく、「自分が何とかしてやらなきゃいけない」という気持ちが大きくなり、心の負担も増していきます。
実は、こうなっていることを、本人達は気づいていないんですよね。
それどころか、依存されている人は、頼られていることが嬉しいという感覚に陥っているケースがよくあります。
傍から見てると、「あ〜、引っ張られているな〜」って思うのですが、その人はなかなかその依存心の底なし沼から抜け出せないのです。
要するに、二人して、負のスパイラルをさまよってしまっているわけですね。
これ、実は個別指導塾で、先生と生徒の関係においてもよく見られます。
「先生、これ教えて!」
「よし、よし。」
「先生、これも教えて!」
「どれ、どれ。」
「先生、次、何をしたらいい?」
「ちょっと待っててね。後で言うから。」
こんな感じの授業ですね。
自習の時なんかにもよく見られる傾向です。
このようなやり取りをしている限り、残念ながら、その子はなかなか伸びていきません。
で、本来の個別指導的手法で言うと…、
学力の低い生徒ほど、最初はみっちり教えて、敢えて、依存させます。
依存させると、信頼関係が深まりますから、学力向上の上でも効果的なのです。
しかし、ある程度、できるようになってくるとそうはいきません。
逆に学習効果が落ちてしまいます。
だから、このタイミングで、“自立させる”ように持っていかなければならないのです。
ただ、これがなかなか難しいわけです。
実際、多くの先生が、生徒から頼られる(依存される)ことが嬉しくて、その快感を手放したくなくなるんですよね。無意識に。
でも、そのことをちゃんと理解して、この段階で、徐々に突き放して、一人立ちさせる作業をしなければならないのです。
「よし、かなりできるようになっているから、これは自分で考えてやってみようか!」という部分を増やしていくのです。
そう、一気に突き放してもダメ。依存させ続けてもダメ。
このタイミングとスタンスが非常に難しいのですが、これをやらないと二人とも負のスパイラルから抜け出せないのです。
これ、上司と部下の関係でも一緒ですからね。
また、男女の恋愛関係でも、ある意味、同じかもしれません。
「君がいなきゃ僕はダメになる…」
「あなたがいなきゃ私は生きていけない…」
そんな関係になったら、最悪ですね(笑)。
まあ、最初のうちはいいですよ、“恋は盲目”って言いますからね(*^o^*)。
ただ、こういう二人の依存関係を続けていると、お互いがお互いの足を引っ張ることになり、仕事も友達との関係も上手くいかなくなります。
まあ、これは余計なお世話ですね(笑)。
ということで、本日はこれで終わり(^^ゞ。
オーラのないマッチメーカーこと、株式会社WiShipの岡田でした