振り返ってみれば、無駄なことは何一つなかった。
本日も昔書いたブログのリバイバル(^_-)-☆
さて、今日は、何一つ無駄なことはかなったという話。
人生の中で、何だか遠回りしている気がしたり、
無駄な仕事をしているように思ったり、
損な役回りをさせられているように思ったり、
そんな気持ちになることってありますよね?
私もありましたね。
まず、浪人時代。
大学受験で行きたい学校に合格できなかった私は、1年間、予備校生活を送ったわけです。
いや、正確に言うと、予備校に向かって家を出たにも関わらず、友達の下宿先に入り浸っていた感じですかね(笑)。
結局、気持ちばかり焦るものの、なかなか勉強が手につかず、浪人しても希望の大学には行けませんでした。
何と無駄な1年間だったんだろう…。
そう思っていましたが、この経験が今の仕事(塾の仕事)に活きてくるわけですね。
なかなか勉強に対してやる気にならない子の気持ちも分かるし、受験の厳しさ(不合格)も体験していますからね。
だから、私の言葉には、説得力が出るわけです。たぶん(^_^;)。
それから、サラリーマン時代。
ブログやメルマガでも何度も告白(?)していますが、私、入社してから4年間、本当にできない奴だったんですよね。
同期達が次々に出世していく中で、私はパッとせず、苦しかっただけの無駄な4年間…。
そう思っていましたが、これまたこの経験が人材育成という仕事に活きてくるわけです。
なかなか力を発揮できない社員や講師を見ても、「こんな私でも何とかなったんだから」と割と寛大な気持ちでいられるんですよね。
あっ、もちろん、限界はありますよ(笑)。
それから、当時、一番教室異動が多かったのが私。
何で、私だけこんな損な役回りをさせられるんだろう???
そんなふうに思っていましたが、これがまたこの仕事に活きて来るんですよね。
教室異動が得意になって、その後も、結構うまく立ち回れるようになったり、上手くいくコツを他の社員に伝授できるようにもなりましたね。
あっ、それに、いろいろな地域の教室に異動したことで、地域による違いであったり、地域が違えど同じことであったり、教室運営においても理解が深まりましたね。
今、考えると良いこと尽くしでした(*^^*)。
また、この時代は一杯役割を兼務させられ…あっ、いや、兼務していました(笑)。
多い時で、エリアマネージャーとして複数教室を統括しながら、生徒数400名代の教室の教室長をして、そして、その教室で100名超の中3生を担当をして、おまけに、中学部のリーダーやプロジェクトのリーダーなんかもやって(他にもありましたが忘れました(^_^;))、それはそれは気が狂いそうなくらい忙しかったですね。
何でこんなに大変な思いをしなきゃいけないんだ…。
そう思っていましたが、この経験も、今、すごく役に立っているわけです。
一杯経験させてもらったから、この塾の仕事をする上で必要なことは、ある程度、何でもできちゃうわけです。
だから、独立開業する時も、全く困りませんでしたしね。
それから、上場企業の塾に転職。
この塾は今は違うと思いますが、当時はなかなか営業に厳しい会社で、無茶をする社員もいて、クレーム処理に追われていていましたね(笑)。
だから、この塾に転職したことを後悔している部分もありましたが、今では、この時の経験があったからこそ、数字に対する厳しさも、クレーム処理の仕方も(笑)、いろいろ学べたので良かったと思っています。
また、弊社は、過去、様々な上場企業の大手塾さんにも研修をさせてもらいましたが、ここでもこの「上場企業にいた経験」が活きてくるわけです。
上場企業の塾って、ちょっと特殊なんですが、もし私にその経験がなければ、「上場企業の塾にいたこともないくせに!」なんて言われて、私の話に聞く耳を持っていただけなかったんじゃないかと思うのです。
ほんと、ラッキーでしたね(*^^*)。
教室運営にしても、先ほど紹介したように生徒数400名台の教室から、新規立ち上げまで経験し、その中で社員複数配置の運営も、社員は自分だけの一人教室の運営も両方経験し、また、大手塾で教室展開に携わった経験も、独立開業して塾を作った経験もあり、まさに何でも経験しちゃっているわけです。
当時は、それら一つ一つが結構大変で、苦しかった部分もありましたが、今、振り返ってみると、全部、無駄じゃなかったんですね。
ほんと、いろいろな経験をしていて、良かったと思う今日この頃です。
「苦労は買ってでもしろ!」なんて言葉もあります。
まあ、苦労はしないに越したことがないのかもしれないし、買う必要もないとは思いますが…
期待されて任された役割なら、それが苦労を伴っていたとしても、全うすべしですね。
後々、必ず自分の人生や仕事に活きてきますから。
要するに、一杯経験したもん勝ちってことです!
本日はこんなところで。
オーラのないマッチメーカーこと、株式会社WiShipの岡田でした