大きな成功には、大きな自己犠牲。小さな成功には、小さな自己犠牲。
今日のブログも昔に書いたやつ🤫。
さて、最近は「自己犠牲」という言葉が凄く悪者になっている気がして、私的にはどうも納得がいかないわけです(笑)。
今日はそんな話。
一度きりの人生、自分の思い通りに生きなきゃ!
だから、自分のやりたいことをやればいいんです!
いや~、ごもっとも。
確かに大局的に見れば、そうだとは思います。
でもね、皆が「自分のやりたいことをやる」のはいいですが、誰もがやりたくない仕事だってあるのが現実です。
例えば、クレーム処理。
皆、やりたくないでしょ?(笑)
でも、放っておくわけにはいかないのです。
誰かがやらなきゃいけないのです。
実は、そういうものは一杯あって、皆が「自分の気持ち」を主張すればするほど、チーム(組織)はバラバラになって機能しなくなります。
また、「自分は、自分は」と主張している人って、周りから信頼もされません。
「何て自分本位な人なんだ…」と、疎ましく思われてしまうだけでしょうね(笑)。
だから、仕事でもプライベートでも、成功したければ、もしくは、自分のやりたいようにしようと思えば、その過程の中では、「自己犠牲」が付きものだと私は思っています。
あの京セラ創業者の稲盛和夫さんも言ってました。
あっ、直接聞いたのではなくて、本の中で、ですけどね(笑)。
以下、稲盛さんの言葉。
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(前略)
動機が我欲であれ大義であれ、事業を展開し、必死に打ち込んでいく行為の中で自己犠牲を払うという点は同じです。
大きな成功には大きな自己犠牲が伴い、小さな成功には小さな自己犠牲が伴います。
自己犠牲を厭う人は何をやってもうまくいきません。
人の上に立つ人というのは、自分が犠牲を払ってでも、その集団のために貢献すべきであって、その人が己を愛することが一番になったのでは駄目。
リーダーが自分というものを捨てなければ、集団を幸せに導くことはできませんと、南洲は一貫して無私の精神を説いています。
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大きな成功には、大きな自己犠牲。
小さな成功には、小さな自己犠牲。
成功したくなければ、どうぞ自己犠牲を避けて通ってください、ということですね(笑)。
もちろん、この「成功」という定義はいろいろだとは思いますが、何においてもこの「自己犠牲」を避けていては、幸せな人生は送れないと思うのです。
たった50数年しか生きていない私ではありますが、それはなんとなく分かります。
例えば、小さなことですが、こんなこともよくありますよね。
次の日曜日(休みの日)、誰かが教室に出てきて、急遽、テスト対策を実施しなければならないことになりました。
Aさんは、久々の家族旅行の予定が入っています。
Bさんは、遠距離恋愛の彼女(彼氏)とデートの約束が入っています。
Cさんは、田舎から久しぶりに両親が会いに来ます。
おっと、みんな結構重要な予定が入っていますね。
さて、Aさんか、Bさんか、Cさんか誰が出るのか?
ここで、「じゃあ、私が出ます!」と言ったもん勝ちなのです。
ある意味、これは「自己犠牲」。(本当は出たくないですもんね。)
いや「家族犠牲」か「彼女(彼氏)犠牲」か「両親犠牲」と言うべきかもしれませんね(笑)。
あっ、ちなみに、余談ですが、こういう姿勢に理解を示す「家族」「彼女(彼氏)」「両親}がいる人は、これまた成功確率(幸せ確率)が大幅アップします。(←私の経験上)
まあ要するに、、、
皆が嫌なことを進んでする。
自分が損をすることを厭わない。
こういう人に人望が集まるわけです。
だから、稲盛さんが言うように、
「人の上に立つ人というのは、己を愛することが一番になったのでは駄目」
なのだと思います。
ということで、、、
今、何で自分がこんな目に逢わなきゃいけないんだ…。
どうして、自分だけが…。
自分は皆の犠牲になっている、会社の犠牲になっている…。
そんなふうに思っている、あなた!
良かったですね!
あなたの「自己犠牲」の先には必ず「成功」と「幸せ」が待っています。
必ず神様は見ています。
神様はそういう「自己犠牲」が大好物なのです。
少なくとも私はそう信じて、今までやってきましたよ(笑)。
まあ、そう思わなかったら、やってられないですからね(*^-^*)。
でも、神様は本当に見てくれているんだろうか・・・。ちょっと心配になってきたぞ(笑)。
オーラのないマッチメーカーこと、株式会社WiShipの岡田でした