盗人にも一分の理(本当は三分だけど(^^;))
今日のブログは、以前に書いたブログですが、好きなのでまたまたアップします!(というか、何度もアップしているんですけどね(笑)。)
「盗人にも一分の理」・・・
これ、正確には「盗人にも三分の理」。
私の一番好きな“ことわざ”です。
ただ、盗人に「三分の理」はちょっと多い気がするので、勝手に「一分の理」に変えて使ってます(笑)。
だから、「盗人にも一分の理」。
誰だって、そうせざるを得ない理由があるのです。
本日はそんな話です。
この“ことわざ”、「どんなことにでも、もっともらしい理屈はつけられる」という、あまり良い意味で使われないことが多いと思うのですが、、、
私は、「盗人でも、盗まざるを得なかった理由があるんだ」という好意的な(?)解釈で使っています。
「何であんなことをしたんだ」
「何でこんなことをするんだ」
そう言われてもね~(笑)。
誰だって、ダメだと分かっていても、やむにやまれぬ事情というものがあったりするのです。
もちろん、駄目なものはダメ、悪いことはワルイ…ですよ。
ただ、そんなことは、みんな分かっていて、それでも、そうせざるを得なかった理由があるわけで。
それを一刀両断するのは、私はあまり好きではありません。
あっ、ちなみに、私は盗人を容認してるわけではないですからね。
自分の家に盗人が入ったら、確実に警察に突き出しますから(笑)。
実は、この“ことわざ”って、“個別指導の原点”のような言葉だと私は思っているのです。
というのも、個別指導塾に来る生徒って、どちらかというと、問題を抱えている子が多いと思うんですよね。
何を言っても、やる気を出さない子。
いくら教えても、勉強ができない子。
人間関係が上手く作れなくて、悩んでいる子。
家庭に問題があり、素行の悪い子。
いろいろいます。
でも、みんな好き好んで、そうなっているのではないのです。
そうならざるを得ない理由があるのです。
だから、今の現象(問題点)を良しとするわけではありませんが、その子自身を否定してしまっては、ダメなのです。
やる気のない子にも一分の理
勉強ができない子にも一分の理。
不器用な子にも一分の理。
やんちゃな子にも一分の理。
この解釈が個別指導の原点だと思うんですよね。
どんな子だろうと、その子の置かれている状況を理解してあげる…。
そんな想いが「盗人にも一分の理」の精神なのです。
また、これは子ども達だけに当てはまることではありません。
お父さんやお母さんだってそう。
子どもに厳しくあたるお母さん(お父さん)、子どものことを放ったらかしにしているお母さん(お父さん)。
そうせざるを得ない理由があるのかもしれません。
社員や講師だって、いや、社長だってそうでしょう。
間違った言動だったとしても、そうせざるを得ない理由があったんでしょう。
一見ダメな判断だと思われることでも、そう判断せざるを得ない事情があったんでしょう。
まずは、そう思ってあげることです。
その想いを持つことが、個別指導…いや、教育のスタートだと思うのです。
本日はこんなところで。
オーラのないマッチメーカーこと、株式会社WiShipの岡田でした。